どうも!月見です!
「ナベサダ」の愛称で、国内外のジャズファンから長年愛され続ける渡辺貞夫さん。
サックスの甘い音色で世界を魅了してきた、日本ジャズ界のレジェンドです。
現在93歳ですが、現役でバリバリとライブ活動などをされているのはすごいですよね。
そんな渡辺さんの音楽活動を長きにわたって支えてきたのが、奥さんの貢子(みつこ)さん。
結婚してからずっと、渡辺さんの音楽活動をサポートしてきたそうです。
そんなお二人の馴れ初めはなんと、ジャズ喫茶での出会いだったとか。
気になっちゃいますね。
ということで今回は、渡辺貞夫さんと奥さんとの馴れ初めや結婚にまつわるエピソードなどについて
グググっと注目しちゃいます。
渡辺貞夫のプロフィールや代表曲!出身や年齢も!

まずは、渡辺貞夫さんのプロフィールを見ていきましょう。
本名:渡辺 貞夫(わたなべ さだお)
生年月日:1933年2月1日(93歳/2026年3月現在)
出身地:栃木県宇都宮市
学歴:栃木県立宇都宮工業高等学校卒業 / バークリー音楽院 中退・名誉博士
音楽ジャンル:ジャズ・ボサノヴァ・フュージョン
渡辺さんは5人兄弟の2番目として生まれ、お父さんはなんと薩摩琵琶師だったそうです。
音楽家の子として育った環境が、後のジャズ人生に影響しているのかもしれませんね。
15歳のころ、アメリカ映画「ブルースの誕生」を観てクラリネットの音色に衝撃を受け、音楽の道へ。
高校卒業後に上京し、やがてサックスに転向。
19歳のときにはジャズピアニストの秋吉敏子さんに声をかけられ、「コージー・カルテット」に加入するなど、若くして頭角を現していきます。
最初はクラリネット奏者として音楽の道を進んでいたんですね~。
そんな渡辺さんの代表曲は
カリフォルニア・シャワー(1977年リリース/1978年に20万枚超のセールスを記録)
マイ・ディア・ライフ(1977年)
モーニング・アイランド(1979年)
なかでも「カリフォルニア・シャワー」は、ギタリストのリー・リトナー、キーボーディストのデイヴ・グルーシンといった西海岸の一流ミュージシャンが参加した作品で、日本のジャズ・フュージョン界を大きく盛り上げた一枚です。 資生堂のCMにも起用され、当時の若者に広くその名が知れわたりました。
音楽にとどまらず写真家としての顔もある渡辺さん。
93歳となった今も現役としてライブ活動を続けているのは、本当に驚きですよね。
そんな渡辺さんの音楽活動をずっと支えてたのが、奥さんの貢子(みつこ)さん。
陰ながら、しかし力強く、渡辺さんを長きに渡りサポートしてきました。
そんな奥さんとの馴れ初め、気になりますね。
今回は、渡辺貞夫さんと奥さんとの馴れ初めやエピソードなどの情報をお届けします。
渡辺貞夫と嫁の馴れ初めはジャズ喫茶!妻の気風の良さに惹かれ結婚?

馴れ初めは?
渡辺貞夫さんが奥さんの貢子さんと出会ったのは、東京・有楽町の駅前にあったジャズ喫茶「コーヒーコンボ」でした。
渡辺さんは仕事の前後にこのお店へよく足を運んでいたそうです。
そのお店に、ある日かわいらしい女の子がお手伝いとして来るようになります。
それが、のちに妻となる貢子さんでした。
渡辺さんがお店に通ううちに貢子さんと親しくなり、交際へと発展。
そして1957年、渡辺さんが24歳のときに結婚。
ちなみに、出会った当時の貢子さんはまだ高校生だったそうです。
渡辺さんはそれをまったく知らなかったそうで、後になって驚いたというエピソードも残っています。
結婚を決めた貢子さんの魅力は?
渡辺貞夫夫人、渡辺貢子さんインタビュー(1980年)#渡辺貞夫 #SadaoWatanabe pic.twitter.com/HNIKtQ49OJ
— カエル岩 (@kaeruiwa1963) September 11, 2021
貢子さんは、東京・人形町の生まれで生粋の江戸っ子。
2018年のテレビ番組「徹子の部屋」への出演時、渡辺さんはこんなふうに語っています。
人形町なんですよ。
江戸っ子ですから気っぷがよくて、おとこ気…僕のほしい性格を全部持っているような感じなんで。
少しでもあやかりたいと思って結婚してもらいました。
なかなかあやかるように心がけても、そうにはならなかったですね。引用元:https://www.daily.co.jp/gossip/2018/11/22/0011842972.shtml
自分にはないものを全部持っているような人、という表現がとても印象的ですよね。
結婚のきっかけが「あやかりたい」というのも、なんともユニークでおもしろい!
貢子さんとの間には、翌1958年に娘の眞子(まこ)さんが誕生。
眞子さんは後に絵本作家・エッセイストとして活躍されます。
渡辺貞夫の活動を支えた妻の貢子のエピソード

結婚し、お子さんにも恵まれたお二人。
その後も音楽活動を続け、ジャズ界を牽引してきた渡辺貞夫さん。
この活動の裏には、貢子さんの献身的なサポートがあったそうです。
彼女なしに、「世界のナベサダ」は生まれなかったかもしれませんね。
渡米留学を笑顔で送り出した妻
1962年、渡辺さんは29歳のときにアメリカの名門・バークリー音楽院へ留学することになります。
当時は外貨の持ち出し上限が200ドルという時代。
渡辺さんは当時既に貢子さんと結婚しており、娘さんも誕生していました。
幼い娘を抱えながら、経済的にも決して楽ではない選択。
それでも貢子さんは
「行っといで」
と快く送り出してくれたそうです。
かっこいいですよね。
まさに気風がいい。
渡米後、渡辺さんは演奏活動で収入を得ながら約10ヶ月かけて1000ドルを貯め、 「これなら呼べる」と妻子をアメリカに呼び寄せることができました。
その後、帰国した渡辺さんが自宅でジャズ理論を教える「ジャズ教室」を開きます。
そこで貢子さんは、教師や苦学する学生たちにも積極的に手料理を振る舞っていたそうです。
まるでみんなのお母さんのような存在だったんですね。
また、こんなエピソードも。
彼女は非常に行動的な女性でした。
僕が旅に出ると彼女も出るみたいで、ばったりサンフランシスコの街角で会っちゃったりね。
そんなことがありましたし。けっこう二人では旅もしました。引用元:https://www.daily.co.jp/gossip/2018/11/22/0011842972.shtml
奥さんの貢子さんはとてもアクティブな方だったんですね。
自由でエネルギッシュな人柄をよく表しています。
2010年に急逝
残念ながら、貢子さんは2010年に急逝。
渡辺さんは「あっけなかった」と寂しさを口にしながらも、彼女への感謝と思いを音楽に込め続けてきたと言われています。
渡辺さんが芸術祭大賞や紫綬褒章を受賞した際には、必ず家族の支えへの感謝を語っています。
貢子さんの存在なくして、世界的なジャズミュージシャンとしての渡辺貞夫は語れないと言っても過言ではないということでしょう。
まとめ 渡辺貞夫と嫁の貢子の馴れ初めはジャズ喫茶!結婚後は渡米や音楽活動をサポート!
今回は、
渡辺貞夫さんの奥さん貢子さん
についての情報をお届けしました。
ジャズ喫茶という昭和らしい場所での出会いから始まった二人のストーリー、素敵ですね。
結婚を決めたのが「あやかりたい」という部分もユニークですよね。
小さな子供を抱えていても、「行っといで」と渡米の背中を押し、
「ジャズ教室」では手料理を振る舞い、渡辺さんの音楽活動を支え続けた貢子さん。
その器の大きさやアクティブさはかっこいい。
93歳となった今も現役で演奏し続ける渡辺貞夫さん。
その音色の中に、きっと貢子さんへの想いも重なっているのかもしれませんね。
これからも活躍を続ける渡辺貞夫さんに注目です!

