どうも!月見です!
編み物作家の伊藤浩子さんと聞いて、どんな方を思い浮かべるでしょうか。
4歳で編み物を始め、指導者として活躍し、英国ヴィクトリア&アルバート博物館に作品2点が収蔵されたという驚くべき経歴の持ち主です。
編み物作家としての活躍も気になるところですが、そんな伊藤さんのご主人について気になっている方も多いのではないでしょうか。
「松坂屋子会社の社長」という噂があるようですが、本当なのでしょうか。
気になっちゃいますね。
ということで今回は、伊藤浩子さんのご主人の職業や、お二人の馴れ初めなどについて
グググっと注目しちゃいます。
編み物作家の伊藤浩子の旦那の職業は?松坂屋子会社の社長

伊藤浩子さんのご主人の職業について調べたところ、
嫁ぎ先は、室町時代から続く旧家中の旧家、松坂屋を創業した伊藤家。旧家ならではの付き合いをこなしながら会社員(後に松坂屋子会社の社長)の夫を妻として支え・・・
引用元:https://fujinkoron.jp/articles/-/5530?page=3
という紹介されている記事がありました。
つまり、ご主人は当初は会社員として働いており、その後に松坂屋の子会社の社長へと就任したという経歴だったようです。
松坂屋といえば、日本を代表する老舗百貨店のひとつ。
伊藤浩子さんの嫁ぎ先は旧家で、松坂屋に関わる家系だったということですね。
会社員から子会社の社長へと昇進されたご主人ですが、具体的にどの子会社の社長だったのか、いつ頃社長に就任したのかといった詳細は公開情報には見当たりませんでした。
松坂屋グループには複数の子会社が存在するため、いずれかの役員を務められたと考えられますが、特定の会社名までは不明です。
ご主人は、記事の引用元記事のインタビュー時点(2022年)から約10年前、84歳で突然亡くなられています。
前夜まで元気で二人でカステラを食べたりしていたのに、翌朝目覚めることがなく旅立たれたとのことです。
この突然の別れは、伊藤さんにとってどれほどの衝撃だったでしょうか。
さて、そんな伊藤浩子さんとご主人は一体どのような馴れ初めで出会い結婚へ至ったのでしょうか?
伊藤浩子と夫の馴れ初めや結婚生活は?

伊藤浩子さんとご主人の馴れ初めについて調べてみました。
23歳の時に兄の学生時代の友人と結婚しました。
引用元:https://fujinkoron.jp/articles/-/5530?page=3
と、ご本人がインタビューで語られていました。
ということで、結婚したのは23歳の時、お相手はお兄様の学生時代の友人ということですね。
兄の友人というと、何気ないきっかけで知り合ったように聞こえますが、嫁いだ先は室町時代から続く「旧家中の旧家」、松坂屋を創業した伊藤家、というところが凄いですよね。
当時の伊藤さんは、ルーマニア出身の編み物の先生・渡辺イルゼ先生のもとで熱心に編み物を学んでいました。
高校生の頃からイルゼ先生の私設秘書のような役割まで果たし、先生の夫である東京大学文学部美学教授の渡辺護氏からは色彩学の基本を教わるなど、編み物一筋の生活。
結婚を機にイルゼ先生のもとを離れることになったのは、
イルゼ先生のもとを離れたのはつらかったです。
これからは自分だけの編み物になると思っていました。引用元:https://fujinkoron.jp/articles/-/5530?page=3
という思いだったようです。
しかし、ここで終わらないのが人生のおもしろいところ。
伊藤さんにも思わぬ展開が待っていました。
嫁いだ先の義姉・伊藤実子さんが編み物が大好きな方で、伊藤さんの高松宮妃賞受賞のこともご存知で、
「私たちに教えてちょうだい」
と頼まれたそうです。
そして、
結婚から2ヵ月も経たないうちに、義姉の家で親戚相手にお教室を開くことになりました。
夫も兄弟姉妹が多かったので、総勢10人ほどになったでしょうか。引用元:https://fujinkoron.jp/articles/-/5530?page=3
と、旧家に嫁いで編み物から遠ざかると思っていたら、むしろ編み物教室が始まりました。
すごいご縁ですよね。
義姉の存在が、伊藤浩子さんの編み物人生を途絶えさせなかった最大の要因だったと言えるでしょう。
そんな伊藤さんは結婚後の編み物活動と家庭生活はどのように両立していったのでしょうか。
夫婦生活と編み物は両立できた?活動を支えた家庭環境とは

結婚後も編み物を続けることができた伊藤浩子さんですが、決して順風満帆だったわけではありませんでした。
息子さんが小さい頃は子育てが中心で、当時は保育園に預けることが一般的でなかった時代でした。
さらに義母も実母も最終的には夫婦と同居することを望み、介護も経験されています。
編み物の図案を考えるためには、夜中の2時、3時までかかることもあったそうです。
そんな中、
夫は何も言わない人でした。
特にサポートしてくれることもなかったけれど、文句も言わない。
夫の親友は、「それは妻を理解しているってことだよ。彼の愛情の証」と言ってくれました。引用元:https://fujinkoron.jp/articles/-/5530?page=3
この言葉にはちょっとグッときますよね。
言葉や行動で積極的に応援するだけでなく、黙って見守ることもご主人の深い愛情の表現だったのではないでしょうか。
生徒の数は一時期100人を超え、コロナ禍で減ったとはいえ40代から90代まで約40名が在籍されています。
1965年には初めての作品展を開催し、以後2015年まで50年間、2年ごとに展覧会を続けてこられました。
毎年チャリティバザーも開催されており、売上の一部を寄付するなど、社会貢献活動も積極的に行われています。
ご主人の黙って見守る愛情のおかげで、伊藤さんも様々な活動ができたんですね。
伊藤浩子のプロフィールと主な活動実績
昔お家での編み物🧶クラスでお世話になった伊藤浩子先生から嬉しいお便り届き、手編みの素晴らしい作品を見に銀座のギャラリーへ。沢山のお客様,姉妹のコンサートに来て下さった方々もあり、楽しいひと時でした。先生本当におめでとう御座います。 pic.twitter.com/0JKCW3ZUTn
— 安田祥子 (@YasudaSachiko) November 28, 2024
では、そんな伊藤浩子さんのプロフィールや活動実績を見てみましょう。
伊藤浩子さんのプロフィール
生年月日: 1932年(昭和7年)生まれ(93〜94歳/2026年6月時点))
出身地: 兵庫県神戸市(後に東京へ移住)
学歴: 都立駒場高校卒業
師匠: 渡辺イルゼ先生(ルーマニア出身の編み物作家)
伊藤浩子さんの主な活動実績
第1回全国編物コンクール 最優秀賞・高松宮妃賞受賞: 1953年(昭和28年)、19歳で受賞。黒・白・グレーの3色によるフレンチスリーブのセーターを10日間で編み上げた作品
作品展開催: 1965年〜2015年まで50年間、2年ごとに開催。第26回まで続けた(監修・装丁は脇田愛二郎)
模様編み集「HIROKO ITO KNITTING」出版: 1983年(昭和58年)刊行
英国ヴィクトリア&アルバート博物館収蔵: 2021年11月、代表作「竹林」(2009年制作)と「もみじの舞」(2011年制作)の2点とその図案が収蔵されることになった。手編み作品として初めての収蔵という快挙
チャリティバザー: 毎年開催。第11回は2026年12月に銀座幸伸ギャラリーで予定。
他多数
伊藤さんは6人きょうだいの3番目で、妹が生まれた時に母から編み物を教わったのが編み物との出会いでした。
当時は毛糸が手に入らず、古いセーターをほどいて編み直したり、真綿の糸で編んだりする苦労も経験したそうです。
イギリスのヴィクトリア&アルバート博物館(通称V&A)は、世界の美術工芸品を収集する権威ある機関。
伊藤さんの作品が収蔵されたきっかけは、作品集がロンドン在住のイルゼ先生の息子さん(ロンドンの芸術大学の教授)のもとに届き、それをご覧になった彼が博物館に推薦してくれたからだったそうです。
「竹林」は京都の染物屋さんに特注で染めてもらった多彩な緑色で竹の葉を織り込んだアンサンブル、「もみじの舞」は紅葉の葉っぱが色とりどりに織り込まれたフード付きマントです。
伊藤さんのこれまでのご縁が導いた素敵な実績ですよね。
まとめ 編み物作家伊藤浩子の夫は松坂屋子会社の社長で夫婦生活と編み物を両立して活動
今回は、
編み物作家・伊藤浩子さんの旦那さんと結婚
についての情報をお届けしました。
伊藤浩子さんのご主人は、会社員として働いたのちに松坂屋の子会社の社長へと就任された方でした。
松坂屋を創業した室町時代からの旧家・伊藤家に嫁いだ伊藤浩子さんは、義姉の後押しもあり、結婚後も編み物を継続。
夜中の2時、3時まで図案に向かう妻に対して、ご主人は文句ひとつ言わず黙って見守り続けました。
そのご主人の見守る愛の形も素敵ですよね。
4歳で棒針と毛糸を手にしてから90年以上。
19歳で最年少の高松宮妃賞を受賞し、89歳で英国ヴィクトリア&アルバート博物館に作品2点が収蔵されるという偉業を成し遂げた伊藤浩子さん。
その裏には、黙って支えてくれたご主人と、編み物を教えてほしいと頼んでくれた義姉の存在がありました。
2026年12月には銀座で第11回チャリティバザーも予定されており、伊藤さんの編み物作家としての活動は今も続いています。
まだまだ元気に活動を続ける伊藤浩子さん。
今後も作品や活動にも注目ですね!

